白い肌に食い込む縄、苦痛に耐える表情、そして、恥辱のなかから徐々に立ち上がってくる妖しい官能――。
1970年代、日本のスクリーンに、それまでの成人映画とは異なる「SMのヒロイン像」を刻みつけた女優がいました。
谷ナオミです。
彼女はなぜ、数多くの女優が活躍した日活ロマンポルノのなかで、特別に“SMの女王”と呼ばれるようになったのでしょうか。
その理由は、単に多くの作品で縛られたからではありません。団鬼六の描く世界を肉体だけでなく、表情や佇まいによって表現し、日本映画における「緊縛される女性」のイメージを決定づけたからでした。
成人映画で経験を積んだ実力派女優
谷ナオミは1948年、福岡県に生まれました。18歳で上京し、1960年代後半から独立系の成人映画に出演。山本晋也や渡辺護などの監督作品を含め、日活に本格参加する以前から数多くの映画に出演していました。
映画情報サイトでは、日活移籍以前も含めて100本以上の作品に出演したと紹介されています。つまり谷ナオミは、突然現れた“SM専門の女優”ではなく、多くの撮影現場で経験を積んだベテランだったのです。
1972年には『しなやかな獣たち』で日活ロマンポルノに出演。その後、彼女の名前を決定的なものにする作品と出会います。
団鬼六原作の『花と蛇』です。
『花と蛇』が生んだ“SMの女王”
1974年に公開された『花と蛇』は、日活にとって初の本格的なSM作品として製作されました。
監督は小沼勝、脚本は田中陽造。谷ナオミは、夫との関係が冷え切った社長夫人・遠山静子を演じます。静子は男たちによって拘束され、屈辱的な行為を強いられながら、やがて自身の内側に眠っていた欲望を露わにしていきます。
谷ナオミ自身は後年、『花と蛇』の撮影当時、日活側もSM表現について手探りだったと振り返っています。撮影にはプロの緊縛師が参加し、実際に縄を使った演技が行われました。
『花と蛇』の成功によって、団鬼六の文学世界と、谷ナオミの肉体表現は強く結びつきます。
彼女はその後、『生贄夫人』『残酷・黒薔薇奴隷』『檻の中の妖精』『団鬼六 縄化粧』『縄地獄』など、数々のSM映画に主演しました。
こうして谷ナオミは、一作品のヒロインではなく、日活のSM映画というジャンルそのものを象徴する存在になっていったのです。
縄が似合うために守り続けた白い肌と黒髪
谷ナオミの最大の特徴として語られるのが、縄の映える白い肌と、長く豊かな黒髪です。
彼女は後年、団鬼六から「白い肌、豊かな胸、黒くて長い髪。それが縄の似合う女性だ」という趣旨の言葉を受けたと振り返っています。そのイメージを守るため、髪を短く切らず、肌を焼かないよう海に行くことも控えていたといいます。
これは単なる外見上のこだわりではありません。
荒縄の質感、白い肌、黒髪、着物という組み合わせは、日本の責め絵や怪談、江戸趣味などにもつながる独特の美意識を生み出します。
谷ナオミの身体は、団鬼六が小説で描いた「高貴な女性が縄によって崩されていく」という幻想を、映画の画面上で成立させるための重要な要素でした。
苦痛だけではない、表情による“変化”の演技
谷ナオミが“女王”と呼ばれた理由は、身体的な美しさだけではありません。
彼女の演技では、恐怖、拒絶、羞恥、怒り、諦め、陶酔といった感情が、長い時間をかけて変化していきます。
最初から快楽を受け入れているのではなく、威厳を保っていた女性が、縄や視線によって少しずつ追い詰められ、別の表情を見せ始める。その過程を、せりふ以上に目や呼吸、身体の緊張によって表現したのです。
そのため、谷ナオミの出演作には、単なる刺激的な場面の連続ではなく、一人の女性の内面が崩れ、変化し、時には男たちを超えていくような物語が生まれました。
小沼勝監督も、ロマンポルノ作品では最後に女性が笑う、あるいは輝く映画を目指していたと述べています。谷ナオミのヒロインは表面的には虐げられていても、最終的には男性の欲望だけでは捉えきれない強さや妖しさを持つ存在として描かれることがありました。
団鬼六の世界を体現した女優
団鬼六の作品には、上流階級の夫人、貞淑な妻、令嬢など、社会的な品位を持った女性が登場します。
彼女たちは縄によって自由を奪われ、隠していた欲望や感情を暴かれていきます。
この構造で重要なのは、主人公が最初から従順な女性ではないということです。誇りや気品を持った女性だからこそ、それが崩れていく過程に強いドラマが生まれます。
谷ナオミには、団鬼六作品に必要な「気品」と「被虐性」の両方がありました。
着物姿で静かに座っているだけでも夫人らしい威厳があり、一方で縄を掛けられると、その白い肌と豊かな身体が強烈な官能性を生み出す。
団鬼六は彼女を高く評価し、後の日活資料では、谷ナオミを「SM界のマリリン・モンロー」と表現したことも紹介されています。
小説家と女優の関係を超え、団鬼六の世界を映像として完成させる存在になったこと。それもまた、谷ナオミが“SMの女王”と呼ばれた大きな理由でしょう。
一人の女優から“女王の系譜”へ
谷ナオミが確立した“SMの女王”という呼称は、その後、日活の女優たちに受け継がれていきました。
日活は現在、谷ナオミを初代、麻吹淳子を2代目、高倉美貴を3代目、真咲乱を4代目の“SMの女王”として位置づけています。
しかし、そのなかでも谷ナオミは特別な存在です。
後継者が現れたという事実そのものが、彼女が一つの役柄ではなく、「SMの女王」というスターの型を作り上げたことを示しているからです。
1979年、谷ナオミは団鬼六原作の『縄と肌』を最後に映画界を引退しました。同作は公式にも「初代SMの女王・谷ナオミの引退記念作品」として紹介されています。
谷ナオミの引退後も、団鬼六原作のSM映画は作られ続けました。しかし、日活の作品紹介でも「谷ナオミ引退後」という言葉がたびたび使われており、彼女の不在が一つの時代の区切りとして認識されていたことが分かります。
その称号は、出演本数や過激さだけによって与えられたものではありません。
団鬼六の文学、小沼勝をはじめとする監督たちの映像、緊縛師の縄、そして谷ナオミ自身の演技と美意識。それらすべてが重なり合い、日本映画に一つの伝説的な女性像を生み出しました。
谷ナオミは、縄に縛られた女優でありながら、同時に、日本のSM映画というジャンルを自らのイメージで縛り上げた女王だったのです。













