血を飲む猟奇殺人犯と呼ばれた男、ペーター・キュルテン事件と20世紀犯罪史

はじめに

20世紀初頭のドイツで起きた連続殺人事件は、都市社会に大きな衝撃を与えました。
その中心人物として知られるのが、ペーター・キュルテンです。
彼は当時の報道により「デュッセルドルフの吸血鬼」と呼ばれましたが、本記事ではセンセーショナルな側面だけでなく、事件の背景や社会的影響に焦点を当てて整理します。


事件の概要|デュッセルドルフを覆った不安

ペーター・キュルテンは1883年にドイツで生まれ、1920年代後半から1930年にかけて、デュッセルドルフ周辺で複数の殺人・襲撃事件を起こしました。
犯行が断続的に発生したことで、地域社会には「見えない加害者が潜んでいる」という強い恐怖が広がります。

当時の警察や報道機関は前例の少ない連続事件への対応に追われ、事件は社会問題として扱われるようになりました。


生い立ちと背景|環境要因として語られる点

キュルテンの生育環境については、暴力的な家庭環境や貧困が指摘されています。
ただし、こうした背景はあくまで後年の分析に基づくものであり、犯罪を正当化する理由にはならないことが重要です。

犯罪学・心理学の分野では、

  • 幼少期の環境
  • 社会的孤立
  • 衝動性の制御困難

といった複数の要素が重なった可能性が検討されています。


犯罪の特徴と社会の反応

キュルテンの事件が広く知られるようになった理由のひとつは、犯行の性質が当時の常識を大きく超えていた点にあります。
報道では「血への執着」が強調され、事件は次第に象徴的な意味を帯びていきました。

その結果、

  • 犯罪者本人の行為
  • それを拡大解釈する報道
  • 大衆の不安と想像

が結びつき、実像以上に「怪物的な存在」として語られる側面も生まれました。


「血を飲む」という証言について|事実と解釈の整理

ペーター・キュルテン事件を語る際、しばしば言及されるのが、彼が被害者の血に強い関心を示していたという点です。
ただし、この点については注意深い整理が必要です。

当時の捜査記録や裁判資料、新聞報道では、
キュルテン自身が取り調べの中で「血を見ることに強い反応を覚えた」と語ったことが伝えられています。
一部では、血を口にした可能性にも触れられていますが、これは主に本人の供述や報道をもとにしたものであり、すべてが物証として確認された事実ではありません。

研究者の多くは、この要素を

  • 生理的・象徴的な反応
  • 暴力と感覚刺激の結びつき
  • 当時のメディアが用いた誇張的表現

という複数の側面から検討しています。

重要なのは、「血を飲む」という行為そのものよりも、
それが当時の社会に与えた衝撃と、犯罪者像の形成にどのように使われたかです。

報道はこの点を強調することで、
キュルテンを単なる犯罪者ではなく「吸血鬼」という比喩的存在として描き出しました。
その結果、事件は現実の犯罪でありながら、
神話や怪談に近いイメージを帯びて語られるようになります。

現代の犯罪史・メディア研究では、
このような表現が人々の恐怖心を増幅させる一方で、
事件の構造的背景や再発防止の議論を見えにくくする側面も指摘されています。

そのため本記事では、
「血を飲む」という点を刺激的な要素としてではなく、
当時の報道と社会心理を理解するための要素のひとつ
として位置づけています。

逮捕と裁判|責任能力を巡る判断

1930年、キュルテンは逮捕され、裁判にかけられます。
精神鑑定の結果、当時の司法は責任能力があると判断しました。

この判断は後世の犯罪研究において重要な意味を持ちます。
それは、「極端な犯罪行為=精神疾患」と単純化できないケースが存在することを示したためです。

1931年、死刑判決が執行され、事件は司法上の区切りを迎えました。


文化・作品への影響|犯罪が物語になるとき

ペーター・キュルテン事件は、映画や文学にも影響を与えたとされています。
とくに有名なのが、1931年公開の映画 M です。

この作品は、特定の人物を直接描いたものではありませんが、

  • 都市に潜む不安
  • 群衆心理
  • 犯罪を生む社会構造

をテーマにしており、当時の連続殺人事件が背景にあったことは広く知られています。

ここで描かれたのは、超自然的な怪物ではなく、現実社会の中で生まれてしまう「人間の闇」でした。


なぜ今も語られるのか

ペーター・キュルテン事件が現在まで語られ続ける理由は、
単なる猟奇事件だからではありません。

この事件は、

  • 犯罪と社会環境の関係
  • 報道が生むイメージの力
  • 「異常」とは何かという問い

を私たちに投げかけ続けています。

過去の事件を冷静に振り返ることは、
同様の悲劇を繰り返さないための視点を持つことにもつながります。