阿部定事件は死体性愛事件なのか― 誤解され続けた昭和の事件を整理する。事件は長らく「猟奇的」「異常な性愛」といった言葉で語られてきましたが、近年では心理・社会・ジェンダーの視点から、より冷静な再評価が進んでいます。

阿部定事件を冷静に読み解く

―― ネクロフィリアではなかった理由

はじめに

1936年(昭和11年)、東京で起きた阿部定事件は、日本近代史の中でも特に強い印象を残した事件として知られています。
事件は長らく「猟奇的」「異常な性愛」といった言葉で語られてきましたが、近年では心理・社会・ジェンダーの視点から、より冷静な再評価が進んでいます。

本記事では、センセーショナルな表現を避けつつ、

  • 事件の基本的な事実
  • ネクロフィリア(死体性愛)との違い
  • なぜ誤解が広まったのか

を整理し、阿部定事件を過度に神話化せず理解することを目的とします。


阿部定事件とは何か

阿部定事件とは、1936年に阿部定が、内縁関係にあった男性・石田吉蔵を殺害した事件です。

事件の特徴として、以下の点が注目されました。

  • 密室状態での生活の末に起きた殺害
  • 殺害後、被害者の身体の一部を切断し所持していたこと
  • 女性が加害者であったこと

これらの要素が重なり、当時の新聞や雑誌は連日この事件を大きく取り上げ、社会的関心を集めました。


ネクロフィリア事件と誤解されやすい理由

阿部定事件はしばしば「ネクロフィリア(死体性愛)」と結び付けて語られます。
しかし、この理解は学術的には正確とは言えません

ネクロフィリアの一般的定義

ネクロフィリアとは、死体そのものに性的興奮や欲望を向ける嗜好を指します。
重要なのは、性的関心の中心が「死後の身体」にある点です。

阿部定事件との違い

  • 阿部定の執着や感情は、被害者が生存していた段階から形成されていた
  • 殺害は性的快楽を目的としたものではなく、関係の独占や不安の解消が動機とされています
  • 殺害後の行動も、「死体そのものへの欲情」というより、関係性を象徴的に固定する行為と解釈されています

このため、多くの研究では
阿部定事件はネクロフィリア事件には該当しない
という見解が採られています。


身体切断行為は何を意味していたのか

事件で最も強い衝撃を与えたのが、殺害後の身体切断行為です。
この行為もまた、単純な性的嗜好として理解するのは適切ではありません。

心理学・社会学的には、次のように解釈されることが多いです。

  • 象徴的所有
    生きていれば変化してしまう関係を、「永遠のもの」として留めようとした
  • 不安と依存の極端な表出
    別離や喪失への恐怖が、行為として現れた
  • 自己と他者の境界の混乱
    恋愛関係における共依存の末期的状態

つまり、身体切断は快楽目的のフェティシズムではなく、心理的な象徴行為と考えられています。


なぜ「猟奇事件」として語られ続けたのか

阿部定事件が強く神話化された背景には、当時の社会構造があります。

1. 性を公に語れなかった時代

昭和初期の日本では、性に関する話題は表立って語られるものではありませんでした。
そのため、事件は「理解できない異常なもの」として強調されました。

2. 女性加害者への違和感

被害者が男性、加害者が女性という構図は、当時の価値観から大きく逸脱していました。
結果として「狂女」「異常な女」というイメージが作られやすくなりました。

3. メディアによる単純化

新聞報道は、複雑な背景よりも刺激性の高い要素を前面に出しました。
これが「猟奇事件」という固定イメージを決定づけた要因です。


映画・表現による再解釈

阿部定事件は、のちに映画や文学の題材として再構築されます。
特に有名なのが、愛のコリーダです。

この作品では、

  • 愛と死の一体化
  • 性と暴力の境界
  • 極限状態の人間心理

が強調されていますが、これは史実の忠実な再現ではなく、表現としての再構築です。
映画の印象をそのまま史実に当てはめると、誤解が生じやすい点には注意が必要です。


現代から見た阿部定事件

現在では、阿部定事件は次のような観点から再検討されています。

  • 恋愛依存・共依存の問題
  • 女性の社会的立場の弱さ
  • 性と権力関係
  • メディアによる事件の消費

阿部定は「怪物」でも「伝説的存在」でもなく、当時の社会環境の中で生まれた一人の人間として理解されつつあります。


おわりに

阿部定事件は、確かに衝撃的な出来事でした。
しかしそれを「異常性欲」や「猟奇」という言葉だけで片付けてしまうと、事件の本質は見えてきません。

重要なのは、

  • 事実と表現を切り分けること
  • 社会背景を踏まえて考えること
  • 現代の私たち自身の価値観を問い直すこと

阿部定事件は、今もなお「人が人を強く求めすぎたとき、何が起こるのか」を考えさせる題材であり続けています。

PRF